2014年12月3日水曜日

船瀬・船津・船戸

久慈川河口部左岸、日立市にある古墳はあまり注目されていないと思う。佐藤さんの記述によれば、過去に工場建設と県道254号線敷設工事などに伴って、かなりの数の古墳が消滅したらしい。付近に現存する古墳は、遺跡地図によれば15基ほどではないかと思う。そのなかでも、桜山古墳と船戸山古墳が注目されるのだが、先日29日に行われた研究会のなかで、これらの古墳群は全く認知されていなかった。他に、海岸線に沿って点々と航路を示すように古墳が点在している様相は、往時の太平洋を介在した、「海の民」の痕跡でもあると思うのだが。そして、肝心の船はそして帆は。上段右下の画像は京都府木津川市にある「上人ヶ平5号墳」出土の埴輪線刻画である。5世紀後半の22mの円墳となっているが、森田克行さんは「津」に停泊している船ではないかと、帆をたたんだ状態の帆柱を想定している。下段はご存知、「東殿塚古墳」の埴輪だが帆には見えない、風になびく吹流しのようにも見える。考古学的資料の希薄な状態で古墳時代の「相互海運」を語るのは難儀ではあるが、いわきの研究会で熱く語っていた西川修一さんを、私は応援したい。 (上段の画像は「大和國古墳墓取調室」、下段は「大和の古墳探索」の各ホームページから使用させていただいた。)

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