2017年8月7日月曜日

平潟街道 2








陶工房ほくほくから砂利道をしばらく進む。馬に関する石碑が目に付く。再び県道27号に出て、花園渓谷をすぎ県境の小川まできて今日は終了。

平潟街道 1









江戸期から幕末まで、棚倉藩の重要な港であった北茨城市にある平潟港。そこから棚倉までの流通路が、平潟街道あるいは塩の道と呼ばれていたそうです。それは主に県道27号線をトレースするものになっていますが、オリジナルをバイパスする部分もあるようです。それでは平潟港にある八幡神社からスタート。6号国道を横断してJRの線路脇にある八坂神社をみて、関本上にある関本小中一貫校の西側には正行院があり、付近には稲荷塚古墳群があるとなっていますが、今日はパス。塚山古墳がある揚子方方面に向かい、パラボラアンテナを見て陶工房ほくほくをすぎると舗装が途切れた。

2017年8月6日日曜日

北茨城市 塩田川流域





今日は、北茨城市にある塩田川流域の散策から、平潟、関本までを巡ってみた。

2017年8月2日水曜日

常陸太田散歩



このところ夏らしくない天気ですが、ひさしぶりに常陸太田市を散策。先ずは星神社古墳から、背後に写っているのはその南端に中野冨士山古墳がのる鯨ヶ丘(あるいはクジリノオカ?)。今年も稲の状況は良好なようです。そして、西から見る大里町。旧常陸太田市の高所からは久慈川河口部が良く見える。

2017年7月27日木曜日

佐波波地祇神社について

日立市の図書館は私の書庫でもあるのですが、そこに「磯原町大塚西明寺物語」-山口炭礦炭住街のあたりー 平成四年 千田 正哲編著の著作があった。おもに北茨城市にあった炭礦の歴史著述だが、新編常陸国誌、多賀郡史、松岡地理史なども参考に民俗学的な記述もある。その中に、「茨城の伝説」を参考にした 佐波波地祇神社(大津町)に関するの記述があった。「神武天皇のころ、大津町の先祖は関本に住んでいたが、大津の山岳には先住民の土久母がいて、地域の人々を苦しめていた。これを聞いた天皇は天日方奇日方命を遣わして、土久母を平定させた。その時村の人々は、命と五人の武将を関本の唐蒔山の中腹の畝踏峠に祀って佐波権現を創建した。そのうち陸地が広がり、漁業ができなくなると人々は大津に移り、唐蒔山に神社を祀ったという。これが今の佐波波地祇神社である。この神社では毎年五月十日に祭礼が行われる。この「お舟まつり」は、洗い清めた漁船に、神主、お囃し、歌子衆を乗せ、四百人以上の若衆が、揃いの浴衣を着、片腕ぬぎ、大津入江から西町まで三日をかけて曳き大漁を祈るのだという。」 他にも北茨城地域の方言なども記述されていて、私にとっては懐かしくもたのしい著作なのだった。

2017年7月9日日曜日

日立市の主要古墳概観 4



日立市石名坂町にある「西ノ妻古墳」。全長約55mの前方後円墳。典型的な後期前方後円墳の形をしていて、今でも埴輪が採集できる。主軸は東西で前方部を当時の内湾に向け、日立市で唯一完形に近い前方後円墳となっている。

日立市の主要古墳概観 3



日立市久慈町にある「舟戸山古墳」。過去には50m級の円墳とか前方部があって90m級の前方後円墳ではとの指摘もあったが、そんな古墳ながら、過去に採取された靭形埴輪を取り上げて、この古墳の築造年代が示されたのは大きな前進だと思う。この古墳がある地点へ行ってあたりを見渡せば、あたりの風景から感じられるものがこの古墳の意味をも表しているようにみえる。